「大正月」と「小正月」
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京都の四季とCobaのお花と共に暮らす日常をお便りします♪
1月15日は小正月(こしょうがつ)
皆様、小正月ってご存知でしょうか
旧暦の1月15日は『立春』後の望月(満月のこと)にあたり、
その昔、この日を正月としていた名残で、
元日を大正月(おおしょうがつ)、
1月15日を小正月と呼ぶようになりました
(厳密に言うと、14日から16日までの3日間、
又は14日の日没から15日の日没まで、
又は、望(満月)の日、又は、元日から15日までの15日間ともされるようです)
大正月が「年神様」をお迎えする行事なのに対し、
小正月は“豊作祈願”や家庭的な行事が多いのが特徴です
今では元日の大正月ばかりが盛大にお祝いされていますが、
元来は小正月の方が重んじられ、
人々は色々なお祝い事や慣わし事を、大切に守り伝えてきています
又大正月・元日(又は元日から1月7日まで)を「男正月」というのに対して、
小正月は松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう“休息日”として
「女正月」とも呼ばれていますよ
小正月はお正月の終わりとも位置づけられてもいて、
「小年(こどし)」、「二番正月」、「若年」、「花正月」の別名もあります
大正月には「門松」などを飾りますが、
小正月には餅花(もちばな)などを飾ります
餅花は、豊作の予祝の大切な行事だったんですよ
小正月は「花正月」とも呼ばれていますね
餅花というのは紅白の餅で、
これを柳などの木に飾りつけて、“農耕神の予祝の花”とされている桜の花や、
実った稲穂に見立てます
地方によっては繭を使うので、「繭玉」とも呼ばれていますよ
餅花は小正月の「正月飾り」でもありますが、
今では、大正月にも飾られる有名なお正月の飾りになっていますねぇ
小正月には、餅花と一緒に
「道具の年越し」として“農具のミニチュア”をこしらえて、
豊作を祈願する習慣が残っている地域もあるんですって
『元服(現在の成人式)』が行われたのも、この日ですねぇ
小豆粥を食べる習慣があるのはご存知でしょうか
小豆粥を食べて、“無病息災”を祈るんだそうです
小豆のように赤い色の食べものは、“邪気を払う”と考えられていますよね
祝い事の席に小豆を使った赤飯などがつきものなのはこの為です
小正月はまず、7日の『七草粥』をお祝いする「七日正月」(なのかしょうがつ)で始まり、
15日の「小豆正月」(あずきしょうがつ)を中心に、
20日の「骨正月」(ほねしょうがつ)まで続く、
一連のお祀りごとの総称であるという考え方もあるようです
先程、小正月の旧暦の1月15日は、
『立春』後の望月(満月のこと)にあたるとお話ししましたが、
古来の人々は、「太陰暦」で日を数えていました
よって昔から、月の満ち欠けと密に結びついていて、
月が細くて暗い朔日(ついたち)の大正月よりも、
満月に照らし出される小正月に
“お正月様(新年)が来られた”との思いを、強く感じ取っていたそうです
そして、上弦の月の夜にあたる7日は、
新月から始まった大正月の終わりの日であると共に、
満月に向かって輝きを増していく小正月の始まりの日とされて、
色々な祭礼を催して、月の復活と新生を祝ったといいます
また、1月7日は五節句の一つ、『人日(じんじつ)』とされて、
中国では晴雨にかかわらず、
邪気を祓うために七種菜(しちしゅんさい)の羹(あつもの)を食して、
その年の“無病息災”を祈ったことが、
『七草粥』のおこりとされていましたよね
春の兆しそのもののような七草を身のうちに取り込むことは、
自然と一つに溶け合い、自らも又新たな命としてよみがえりを実感するという、
大切な節会(せちえ)だったのでしょうねぇ
こうして、上弦の半月、「七日正月」を過ぎた月は、
日々明るさと大きさを増して、15日に満月の小正月を迎えます
そしてこの日、祝うのが小豆粥
小正月を「小豆正月」と呼ぶゆえんですねぇ
満月を年の初めとした頃の古い暦の名残でしょうか、
やわらかく炊いた縁起ものの小豆を白粥に散らして・・・
満月に見立てたお餅を、椀種ならぬ、お粥種に取り込んで・・・、
白と赤の対比も鮮やかなお祝いもののお粥さん・・・・
『御粥祭り(おかゆまつり)』が催されて、
それぞれ趣向を凝らしたお粥が供えられ、神事が執り行われています
又東山区の「八坂神社」では、
14日に桃の枝で作られた粥枝(かゆえだ)のお守りが授与されていて、
参拝の人々は、授かったこの枝で家の小豆粥をかき回し、
翌15日の朝一番に神前に供えて、
新年の“無病息災”、“五穀豊穣”を祈られるんですよぉ
やがて、満月の小正月も過ぎて月は再び欠け始め、
下弦の月を迎える20日が、「骨正月」(こちらは初耳です)
昔、お店屋さんはお正月の間はお商売を休まれたので、
お正月用の食べものは暮れの内にそれこそどっさり買い込んでありました
大量買いしてあった塩ブリや新巻サケも日を追って食べ進んでいくうちに、
20日頃に残っているのはアラ(骨や頭)だけになってしまいます
このアラで出汁をとって、大根を炊いて食べるのが20日の習わし
つまり、「骨正月」ということなのだそうですよ