『節分』・春・新しい年の始まり♪
本日も、ご訪問ありがとうございます
京都の四季とCobaのお花と共に暮らす日常をお便りします♪
2月3日は皆様の言わずと知れた節分(せつぶん、せちぶん)ですね
節分は【雑節】の一つで
現在は立春の前の日(2015年は2月3日)です
(【雑節】というのは、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、
特別な暦日のことです)
節分とは本来、“季節を分ける”、
つまり“季節が移り変わる節日”を指していて、立春・『立夏』・
1年に4回あったんだそうです
季節の変わり目毎にある節分ですが、
「春夏秋冬」とも書くように、1年の始まりは『春』になります
その『春』の始まりが、立春ですよね
旧暦でも、立春の頃が1年の始めとされて、最も重要視されていましたので、
次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようですよぉ
立春を1年の始まりである新年と考えれば、
節分は『大晦日』にあたりますよね
そのため、現在でも節分のことを「年越し」という地方もあるんだそうですよ
(因みに旧暦の『元日』は立春の頃で、立春の日とは限りません)
旧年の厄や災難を祓い清める追儺(ついな)の行事が行われていたといいます
それが室町時代以降には、豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展して、
それが民間にも定着していったんだそうですよ
『春』が始まる前日、新しい1年が始まる前日に、
“これから始まる新しい一年が、不幸や災いのない一年になりますように・・・”
という願いを込めて、1年に1度、節分をこの時期に行うということなのですねぇ
今でも、『大晦日』には「大掃除」をしますよね
「大掃除」も、旧年中の埃や汚れ、邪気など悪いものをなくして、
綺麗な環境や身体で、新しい年を迎えるという意味があるものでしたよね
「大掃除」とはやり方は違いますが、節分の豆まきも、
それと同じ意味なのかもしれませんねぇ
節分に行われる豆まきは、追儺(ついな)という宮中行事と、
寺社が邪気を祓うために節分に行っていた
『豆打ち』の儀式が合わさったものといわれているんですって
節分につきものの「鬼はらい(やらい)」の行事は、
中国の『大儺(たいな)』が源流で、
恐ろしい形相のお面をつけた呪師が、疫鬼を追い払う行事です
日本では706年(慶雲3年)に、沢山の人民が疫病で死んだので、
土の牛をつくって、初めての鬼払い儀式が行われたことが、
「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記されているそうです
『大晦日』の夜に行ったといいます
そして江戸時代には豆まきとして庶民に広まったんですって
今では節分といえば豆まきですが、
節分に豆で邪鬼をはらう行事が初めて行われたのは、
室町時代の京都で、「看聞(かんもん)日記」の1425年(応永32年)の記録に記されているそうです
また、定番のかけ声の“鬼は外、福は内”は、
「臥雲日件録」1447年(文安4年)に、『立春』の前夜に家ごとに豆をまき、
“鬼は外、福は内”ととなえたと記されているんだそう
やがて江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として、
諸国の神社や家庭に広まり、体を豆でなでて厄をうつしたり、
年齢の数だけ豆を食べたりするようになったといいます
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、“無病息災”を祈る意味があるといいますよね
昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、
毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、
鬼を退治できたという話も残っているんだそうですよぉ
「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて
「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということなんですねぇ
因みに豆まきの時、“鬼は外、福は内”と唱えますが、
「浅草寺」では、観音様の前に鬼はいないということから、
“千秋万歳福は内(せんしゅうばんざいふくはうち)”といいます
他にも“鬼は外”と唱えない寺・神社・地域もありますので注意が必要ですね
ここで豆についての、豆知識を1つ
豆まきの豆は“煎った大豆”でなければなりません
皆様、ご存知でしたかぁ~~
何故かというと“生の豆”は、そこから芽が出てきます
「魔」から目が出てくるということで、大変、縁起が悪いとされているんですよ
「煎る、炒る」は「射る」にも通じます
また、鬼や大豆は『陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)』の
「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を煎ることで、
鬼を封じ込めるという意味があるんだそうですよ
そして最後は、豆を人間が食べてしまうことによって、
完全に鬼を退治した、ということになるわけですねぇ
京都ではといいますと、表鬼門にあたる「吉田神社」と、
裏鬼門にあたる「壬生寺(みぶでら)」の節分祭がことに有名で、
厄除節分会の期間中は大勢の人でごったがえします
2月2日の節分祭の前夜祭として執り行われていて、
「赤」・「青」・「黄色」の三匹の鬼が三本の矢で追われていくと、
参集殿前に集まった人々の間からどよめきが上がります
また、歳の数より一つ多い煎り豆を持ち寄って、
明日からはじまる1年の息災への願いと一緒に納めます
中京区の「壬生寺」では、2日と3日にわたって節分会として、
「壬生大念仏狂言」が催されます
風俗や歌謡を豊富に取り入れた狂言はユーモラスで、
人も、鬼をも食った面白さということ
またこの両日、授与される素焼きの焙烙に名前と年齢を書いて奉納すると、
4月の壬生狂言の「焙烙わり」の舞台で割っていただけて、
その年の“厄除け招福”になるといわれていて、
例年、参道から境内まで多くの人出で賑わい立ちます
残念ながら今年は参加出来ませんでしたが・・・、
「吉田神社」と「壬生寺」の節分祭、いつか機会がありましたら、
皆様にご紹介したいなと思います
また、節分といえばの恵方巻き
節分に、その年の“恵方”を向いて太巻きを食べるという風習は、
関西から始まったものですが、今では全国的に定着しているようですねぇ
元々は、大阪の海苔問屋協同組合が、節分のイベントとして行ったのを
マスコミが取り上げたのをきっかけに広まったものだとか
その年に吉となる方角をいいますよ)
福を巻き込む→巻き寿司、福を切らない→包丁を入れない
一種の縁起かつぎではありますが、これがまた結構楽しいものですねぇ
恵方巻きの具材は何でも良いそうですが、
七福神に因んで、「かんぴょう」、「キュウリ」、「シイタケ」、
「伊達巻」、「うなぎ」、「でんぶ」、その等の七種類の具を入れるのが良いとされているんですって
節分の前日に巻き寿司の様な物を食べて出陣し、
戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているもと言われているそうですよ
目を閉じて願い事を思い浮かべながら一気に食します
2015年の“恵方”は西微南(西南西のやや西寄り)ですよぉ
“食べ終わるまで話をしていけない”のでご注意を~
節分に食するものといえば、恵方巻きと鰯
美味しく頂いた後、残った鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して、
玄関先に立てておきます
この風習はあまり御存じない方もおられるのかもしれませんね
柊の葉がとがっていることから、
“鬼の目突き”とよばれて、その先に鰯の頭をさして戸口にかかげると、
邪気の侵入を防ぐとされているんですよ
もっとも、鰯も柊も実はどちらも「冬」そのものの象徴で、
「鬼」によって象徴された疫病や災厄、
それに寒気を追い払って、少しでも早い『春』の命の再来と再生を願った、
私達祖先の生きていくための切実な祈りだったのでしょうねぇ
節分、『春』が始まる前日、新しい1年が始まる前日、
“これから始まる新しい一年が、
不幸や災いのない一年になりますように・・・”と願いを込めてぇ・・・