桃の節句・ひな祭り
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京都の四季とCobaのお花と共に暮らす日常をお便りします♪
3月3日は桃の節句
元々は『上巳(じょうし・じょうみ)の節供(せっく)』といわれていました
起源は古来中国の[上巳節]
『上巳』とは、“3月上旬の巳の日”という意味です
昔から中国では、季節や物事の節目には
災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、
『上巳』の日に、川の水に心身のけがれを流して厄を祓う行事や、
杯を水に流して宴を催す「曲水の宴」などを行う習慣がありました
これが平安時代に日本に伝わって、
宮中の「人形遊び」と結びつき、「流し雛」へと発展したといわれています
桃の節句というのは、桃の開く時期に重なるというだけでなく、
桃の木が“邪気を祓う神聖な木”と考えられていたからなんですよ
そして次第に、人形作りの技術が発展し高級化してくるにつれて、
人形は“流すもの”から“飾るもの”へと変化し、
内裏雛(だいりびな)を雛壇に飾るひな人形が流行したんだそうです
こうして今日では、女の子の幸せを願いひな人形を飾るようになり、
ひな祭りとして、皆でお祝いをするようになったんですよぉ
ひな祭りについてお話しする前に、まずは『節句』について・・
「節」は“季節の変わり目”という意味
『節句』は季節の節目に、“無病息災”、“豊作”、“子孫繁栄”などを願って、
お供え物をしたり邪気を祓う行事で、『節供(せっく)』ともいいます
(『節供』は、季節の変り目に神に供えた食物のことを言うそうです)
『人日(じんじつ・1月7日)』、『上巳(じょうし・3月3日)』、
『端午(たんご・5月5日)』、『七夕(たなばた・7月7日)』、
『重陽(ちょうよう・9月9日)』の5つを【五節句】といって、
【五節句】は中国から伝わりました
中国の暦法と日本の風土や農耕を行う生活の風習が合わさって、
宮中行事となったものが『節句』の始まりとされているんですよ
皆様、日付を見て、もうお気付きでしょうね
すべてが奇数ですそれも、1月を除いて月と日が同じ数
奇数の数が重なっていますよねぇ
(1月だけは1日(元日)を別格として、
『人日』を【五節句】の中に取り入れています)
これは中国では、奇数は「陽の数」として縁起が良い数とされていたことによるそうです
今日の日本でも、お祝い事や縁起物の際は、
奇数が好まれていますよね
結婚などのお祝い金は、“二つに割れない(別れない)”として、
3万円や5万円など奇数の額を贈るのが良いとされていますよね
江戸幕府は、一年のうちで特に重要な節目として、
【五節句】を式日(しきじつ・祝日、祭日、儀式のある日)に定めていましたが、
この制度は明治に廃止されて、
現在では、“季節を楽しむ行事”として定着しているということなのです
我が国日本では、中国の『上巳』の祓いが伝わる以前から、
人形(ひとがた)や形代(かたしろ)等の「撫で物(なでもの)」に自らの穢れを移して、
海や川に流して身代わりとしてあがなってもらう、
お祓いの慣わし事が古くから行われていたといいます
また、子供が生まれた際、「這子(ほうこ)」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる布人形を作って
この人形に病いや災厄から子らを守ってくれる霊力を祈り込め、
子供の枕辺に置いて大切に飾り、尊んできたんだそうです
そして平安中期の貴族社会では、「雛遊び(ひいなあそび)」というものがあって、
盛んに行われていたといわれています
この頃は「立雛(たちびな)」のひな人形が「雛遊び」のお道具だったそうですよ
当時は大人の遊びでしたが、次第に子供達の世界に広まったようで、
現在のように、段を組んだり豪華な飾りを施すようになったのは
江戸時代に入ってからだといいます
これは江戸時代の初期に、京都の『御所』で盛大なひな祭りが催されて以降、
江戸の武家社会にも広まり、庶民の間にも定着していったとされています
京都のひな祭りといえば、『下鴨神社』の「流し雛」が有名です
「流し雛」は平安時代に始まったとされ、
“子供の健やかな成長を願って小さな人形を子供の身代わりに川や海に流し厄を払う行事”で、
ひな祭りの原型とされていますよ
桟俵(さんだわら)の「流し雛」は、京都の春の訪れと共に、
3月3日、左京区『下鴨神社』の境内に流れる御手洗川で行われます
和紙で着物を作り、顔は土を丸め胡粉を塗った素朴な人形に願いを込め、流します
この日『下鴨神社』では、公募で選ばれ結婚を控えた男女が、
十二単に衣冠装束姿に身を包み、
桟俵(さんだわら)に乗せた和紙人形を御手洗川に流します
また、各種ひな人形が当たる抽選会や、
にごり酒、甘酒の接待、琴の生演奏などの行事が盛大に行われ、
毎年多くの人で賑います
皆様も是非一度、古くから伝わる「流し雛」の行事を見学に行かれてみては如何でしょうかぁ
先程お話ししましたように、ひな祭りに欠かせない桃の花は、
“邪気をはらう霊力の強さ”と“たくさんの実をつける豊かさ”が、
女の子達の末久しい幸いを祈る花木とされて、
3月3日を桃の節句と呼ぶ由縁にもなっていったようです
中国の三千年に一度だけ実を結ぶという『三千桃(さんぜんとう)』の持ち主、
「西王母(せいおうぼ)」も、3月3日が誕生日なのだとか・・
この『仙桃(せんとう)』を口にすると、
“不老不死”が約束されたと伝えられています
また晋の時代、武陵(ぶりょう)の漁夫が垣間見たとされる、
病いも無く、戦いもない『桃源郷』は、
千々に咲き乱れる桃の花々の、そのまた奥にあるのだとか・・・
春の光を眩しいばかりにまとって、
あやうい白昼夢のように咲き誇る桃の花には、
確かに人々の畏敬を集め、種々の伝説を呼び起こす魔力が秘められているようにも感じます
北区の『上賀茂神社』でも3日、「桃花神事(とうかしんじ)」が営まれます
これはご神前に桃の花と「辛夷(こぶし)」の花をお供えして、
神殿内で今も、厳かに執り行われているそうです
本日は最後に、“女の子の健やかな成長と幸せを祈る日”である
桃の節句にピッタリの歌を一首ご紹介したいと思います
《 春の苑 紅(くれない)匂ふ 桃の花
下照る道に 出(い)で立つ 少女(をとめ) 》
~はるのその くれないにほふ もものはな
したでるみちに いでたつをとめ~
万葉集 巻19・4139、「大伴家持(おおとものやかもち)」の歌です
~春の庭で、桃の花が真っ赤に美しく色づいている。
その紅が美しく照り映えた道に出てたたずむ少女よ~
まだまだつづく、桃の節句~ひな人形について~ご期待下さいませぇ
弥生◎黄蘗月
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桃花笑春風(とうかしゅんぷうをえむ)
~桃の花が春風に誘われて咲きほころんだ様子、春の喜びの歌~
待ちわびた春はもうすぐそこまで来ています
3月1日、本日の京都は生憎の雨ではありましたが・・・
この一節と共に、待ちに待った3月、
素晴らしい春のスタートを切りたいと思います
桃花笑春風・・・唐代の詩人、「崔護(さいご)」の七言絶句【人面桃花】の一節です
去年今日此門中(去年の今日 此の門の中)
人面桃花相映紅(人面 桃花あい映じて紅なり)
人面不知何處去(人面いずれのところより去るや知らず、人面はいずこにか去るを知らざるも)
桃花依舊笑春風(桃花 旧に依りて 春風に笑む)
春風に揺られて咲いている桃の花が、微笑んでいる様に美しく咲いている
人の姿は変わっても、花の姿は変わらない
桜の花も桃の花も、春風が吹く度に同じ姿、同じ香りで咲きほころぶ
3月は弥生(やよい)
日本では、旧暦3月を弥生と呼びましたが、
現在でも新暦3月の別名としても用います
弥生は、“草木がいよいよ生い茂る月”という意味
「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったといいます
※「弥」には、いよいよという意味、「生」には生い茂るという意味がありますよ
他に、花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)、
夢見月(ゆめみつき)、桜月(さくらづき)、暮春(ぼしゅん)、
季春(きしゅん)、雛月(ひなつき)等の別名もあります
季節としては「仲春(ちゅうしゅん)」になりますよ
「仲春」は『啓蟄』から『清明』の前日まで(2015年は3月6日から4月4日)
桃の花が咲く3月
冬と春の間を、行ったり来たりする言葉が揃います
早春(そうしゅん)
『立春』を過ぎても、冬の寒さが続く頃に使われる季語です
キリッと引き締まる寒気のなかにも、春を見出そうとする心を映します
光の春
『立春』過ぎは日差しが強さを増し、
芽吹きなどが春の到来を知らせてくれますその様子が光の春
冬の厳しいロシアで生まれた言葉だそうです
甘雨
草木にやわらかくそそぐ春の雨
植物や農作物の成長を促す、優しい雨です
冴え返る(さえかえる)
春になって緩んだ寒さがぶり返すことをいいます
弥生の頃の季節のお花はといいますと・・・
桃(桃の花)
3月3日の『桃の節句(ひな祭り)』には、桃を「ひな人形」の隣に添えますね
これは温室内で育てた桃で、
屋外の桃の開花は、もう少し後になってからになりますよ
また、桃にも早咲きと遅咲きがあります
枝に沿ってびっしりと花をつけるのが特徴です
いろいろ種類がありますが、普通よく見かけ、
園芸店やお花屋さん等で売られているのは
「花桃(花を鑑賞する目的の園芸品種)」になりますよ
観賞用の品種には「源平桃(げんぺいもも)」、「枝垂れ桃(しだれもも)」などがあって
庭木として、あるいは華道等で切り花として用いられますね
日本ではなんと、縄文時代の初期から栽培されているんですよ
実が赤いところから、「もえみ(燃実)」が変化して「もも」になったようです
また、桃の字は中国から伝わったといいます
桃の字の「兆」は“妊娠の兆し”を意味していて、
桃が「女性」や「ひな祭り」と関係があるのは、この理由からなんだそうですよ
桃の花の色から「桃色」という色名も生まれました
花言葉は「チャーミング」、特に「枝垂れ桃」の花言葉は「私はあなたのとりこです」
沈丁花(じんちょうげ)
沈丁花の原産地は中国南部で、
日本にある木は、殆どが雄株で雌株はほとんど見られないんだそうですよ
日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたとされています
花芽は、前年の秋には出来ていますが、
実際に咲き出すまでに寒い中、3ヶ月以上を花芽のままで過ごします
沈丁花の名前は、“香木の「沈香(じんこう)」のような良い匂いがあって、
「丁子(ちょうじ、クローブ)」のような花をつける木”、
という意味でつけられたんだそうです
因みに漢名は、「瑞香(ずいこう)」
花言葉は「優しさ」、「おとなしさ」、「栄光」「不死」「不滅」「歓楽」「永遠」
雪柳(ゆきやなぎ)
中国原産という説もありますが、日本原産であると考えられています
葉が柳の葉に似て細長く、
枝いっぱいに白い花を雪が積もったように咲かせるところから雪柳
花が散った後の地面も、雪が薄っすらと積もったように見えますねぇ
蕾がピンク色の、「フジノピンク」という品種もありますよ
別名は「小米花(こごめばな)」、白い小花を米に見立てたようです
雪柳は公園や庭先でよく見かけますが、
自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定されているなど、
地域的には絶滅が危惧されています
日本原産である雪柳、大切に守っていきたい植物の一つですねぇ
花言葉は「愛嬌」、「愛らしさ」、「懸命」、「静かな想い」
馬酔木(あせび)
「あしび」、「あせぼ」とも呼ぶそうです
微かに香る壷形の花をいっぱい咲かせます
枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいて、
馬が食べると酔って足がなえることから「足癈(あしじひ)」と呼ばれて、
しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となったといいます
漢字の馬酔木もその由来によるそうです
ヒヤシンス
ギリシャ地方原産で、16世紀にヨーロッパに渡り、
日本には1863年頃に、フランスから「チューリップ」とともに渡来しました
とても甘く良い香りが特徴で、耐寒性秋植え球根として扱われ、
鉢植えや水栽培などで手軽に観賞出来て人気がありますねぇ
「風信子」、「飛信子」という和名あって、
香りが風によって運ばれる様を表しています
「ヒアシンス」ともいいますよ
ヒヤシンスの名は、[ギリシャ神話]の美青年「ヒュアキントス」に由来します
同性愛者であった美青年「ヒュアキントス」は、
円盤投げに興じていました
(古代ギリシャでは同性愛は普通のことで、むしろ美徳とされていました)
しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神「ゼピュロス」は、
やきもちを焼いて、意地悪な風を起こしました
(彼も「ヒュアキントス」を愛していました)
その風によって「アポロン」が投げた円盤の軌道が変わり、
「ヒュアキントス」の額を直撃してしまいました
「アポロン」は医学の神の力をもって懸命に治療するのですが、
その甲斐なく「ヒュアキントス」は大量の血を流して死んでしまいました
ヒヤシンスは、この時に流れた大量の血から生まれたとされています
このエピソードから花言葉は、「悲しみを超えた愛」となっています
他には「しとやかな可愛らしさ」、「初恋のひたむきさ」というものもあります
西アジア、トルコ地方原産です
原産地では、湿地に自生する多年草です
ラナンキュラスは、葉の形がカエルの足に似ていることから、
ラテン語のrana (カエル) を語源として名付けられました
花びらが幾重にも重なった可憐な花姿がとても人気ですねぇ
別名は「花金鳳花(はなきんぽうげ)」
“色彩の華やかな金鳳花”という意味ですよ
花言葉は「あなたは魅力に満ちている」
パンジー
パンジーはヨーロッパまたはアジア西部原産がです
日本へは江戸時代に渡来したんだそうですよ
「菫(すみれ)」の園芸品種で、寒さにも強く、
秋から翌春にかけて長く咲き続けて、
花壇の主役として人気がありますねぇ
パンジーはフランス語の「パンセ(考える)」という意味で、
蕾が下を向く形が、人が頭を垂れ、物思う姿に似ているところから命名されたそうですよ
パンジーに似た品種に「ビオラ」がありますね
花の直径が3~5cm以上のものをパンジー、
それより小さいものを「ビオラ」と、区分けして呼ぶということです
パンジーは別名、「三色菫(さんしきすみれ)」
花言葉は「思慮深い」、「もの想い」、「わたしを想って」
そして3月弥生は黄蘗月(きはだづき)
黄蘗色はミカン科の高木「黄蘗」から生まれた色名で、
防虫にきく染料は、経典の染紙にも使われます
草木がいやが上にも生える頃の意で「いやおい」、それが転じて弥生
春をストレートに伝えるイメージカラーは「黄」、
「黄緑」、「ピンク」などの明るい色になりますね
なかでも「黄色」は、発奮し躍動する希望の色
気持ちの春飾りにふさわしい基調色ですねぇ
2月19日◎雨水
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2月19日は、雨水(うすい)
二十四節気の第2、2月19日頃(2015年は2月19日)です
『立春』から数えて15日目頃
期間としての意味もあって、次の節気の『啓蟄(けいちつ)』の前日までの期間です
“空から降るものが雪から雨に変わり、
氷が溶けて水になる”という意味があります
草木が芽生えるのは頃で、
昔から雨水は、農耕の準備を始める目安とされてきたんだそうですよぉ
春一番が吹くのもこの頃になりますよ
初めて吹く強い南向きの風(東南東から西南西の風向で8m/s以上)のことで、
地域によってそれぞれの呼び方もあるようです
(因みに2015年は2月4日から3月21日の間になりますよ)
しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、
大雪が降ったりもします
三寒四温を繰り返しながら、春に向かっていきます
この三寒四温といいますと・・・
“寒い日が三日程続くと、その後四日間位は暖かい”ということ
これを繰り返しながら、だんだんと暖かくなって、
徐々に春へと近づいていくんですねぇ
(元々、中国北部や朝鮮半島の冬の気候を表す言葉で、
後に日本に伝ったんだそうですよ)
他に雨水の頃の季節の言葉といいますと
雪解け
北国に訪れる春の兆しです
冬の間に積もった雪が溶けていくこと
山で溶けた雪は木々を潤し、潤沢で、勢い溢れる春の川になります
東風(こち)
春風のこと
冬型の気圧配置が弱まって、太平洋側から東寄りの風が吹き始めます
雨を伴うことも多く、草や木の芽を膨らませます
春浅し
暦の上では『立春』を過ぎたのに、風が冷たく、春めいていない様子
梅などの花は咲いていますが、まだ冬らしさが残っています
まだまだ寒い時期ではありますが、
暦上では、冬の寒い時期は終わって、
暖かい春になっていく頃・・雨水、何だか嬉しくなるような日でもありますねぇ
またこれは地方によっても違うようですが、
この“雨水の日に雛人形を飾ると、
良縁に恵まれる”といわれているんですよぉ
“可愛い子供に、幸せになって欲しい”、
そんな思いがいっぱい詰まったお雛様
皆様、この言い伝えはご存知でしたでしょうかぁ
雨水は、2月19日頃から『啓蟄』までの期間で、
2015年は2月19日から3月6日でしたねぇ
この日から、冬の寒さの峠を越えて、
雪が雨に変わり、そろそろ暖かくなってきて
春にむかっていく節目とされている雨水
では何故雨水と“良縁”が関係があるんでしょう
理由は諸説あるようですが、有名なものとして、
由来は、【日本神話】から来ているようです
雨水の頃から積もった雪も解けてきて、
又降る雪も雨に変わり、春に向かっていくので、
農作業の準備などを始める目安のとされているんでしたねぇ
草木も芽吹き、雪解け水が川に流れ始めます
雪解け水が流れる川は、昔女性達が、炊事や洗濯をして集まる場所でした
その“水は、「生命を支えて、育てる」という根源である”ということから、
水は“命の源”であるとされ、“母”と考えられて、
信仰の対象だったんだそうです
日本の代表的な“水の女神(水神)”であることから、
“水=母神”と考えられる様になったといいます
「罔象女神」は、地方や地域によって、
子授けや安産の神としても崇められているんですよぉ
このような理由から、“お雛様を雨水に飾ると
良縁に恵まれる”と言われるようになったということですねぇ
(又他には、“新緑が芽吹く様に、良い縁が芽吹く”といった説もあるそうです)
“生命の源”である、“水の神”にあやかって、
“雨水に雛人形を飾ると良縁に恵まれる”という言い伝え
子供を思う親の気持ちは、昔も今も変わりませんが、
子供の成長を楽しみに、幸せでありますようにと願い、
縁起が良いといわれることで祝ってあげたい気持ちの現れなんですねぇ
初午♪運気UPの日♪♪
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“建国を祝い、国を愛し、発展を期するために制定された日”です
そして皆様、初午(はつうま)の日でもあることをご存知でしょうかぁ
「名前は何となく聞いたことがあるけれど・・・ん・・・・」
という方もいらっしゃるのではないでしょうかぁ
初午の日は、2月最初の『午』の日(2015年は2月11日)です
日本の年中行事の一つで、【稲荷社】のお祭のことなのですが、
これを『雑節』の一つとすることもありますよ
本来は、農業の“豊作祈願”が始まりで、
農作業が始まる旧暦の2月に行われていたんだそうで、
現在も旧暦で行う事もあって、その場合は3月となる事もあるんだとか
初午というのは、『節分』以降で一番最初の『牛』の日のとを指しますが、
お稲荷様の誕生日とも言われています
【稲荷社】ではこれを祝うとされて、
初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が沢山訪れるんですよぉ
【稲荷社】の本社である京都の伏見稲荷大社に
[稲荷大神]が鎮座された(ご祭神・[宇迦御霊神]が伊奈利山へ降り立った)
と伝えられています
この日をしのんで、伏見稲荷大社をはじめ、
全国の【稲荷神社】で盛大にお祭り(初午大祭)が行われるということですよぉ
また、2月の2回目の『午』の日を二の午(にのうま)、
3回目を三の午(さんのうま)と言って、これらの日にも祭礼を行う地方や、
二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もあるんだそうですよ
お稲荷様は日本でも有名な神様の一つですねぇ
お稲荷様は[稲荷大明神]とも呼ばれていて、
主に『狐』の形をした像などで祭られていますよね
これはお稲荷様の使者が『狐』であることから
お稲荷様の像を『狐』でイメージをしたそうなのですよぉ
【稲荷神社】には『狐』の神様が祀ってあると勘違いしてしまいがちなので、
要注意ですねぇ
ここで簡単に【稲荷神社】についてお話しますと、
【稲荷】とは、「稲生(いねなり)」が縮まったもの
そして「稲」の神様である[御饌神(みけつがみ)]、
食物の神様を祀ったものであることから、
“商売繁盛”、“五穀豊穣”などを祈願します
その中で京都の伏見稲荷大社は、
【稲荷社】の総本山とされている場所です
多くの鳥居が立ち並ぶ「千本鳥居」の光景は、
まるで別世界に誘ってくれそうな雰囲気をもっていて、
観光地としても非常に人気の高い場所になっていますねぇ
2月の初午の日には初午大祭がとても盛大に行われます
この日社頭では、“商売繁盛”や“家内安全”のご利益があるとされる
「しるしの杉」が与えられるんだそうです
この京都の伏見稲荷大社については、
また機会がありましたらご案内したいと思います
そして、『立春』を迎える2月の最初の『午』の日は、
“一年のうちで最も運気の高まる日”とされていることをご存知でしょうか
『午』は方位の「南」を示して、時間は「正午」を表わします
この時間は太陽が最も高く上がり、
一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています
※『午』の方位は「南」、
「子午線」は、「北」を示す『子』と「南」を示す『午』に由来します。
『午』の刻は、昼の12時および、その前後2時間です。
そのため、昼の12時を「正午」といい、
「午前」「午後」という言葉がうまれました。
因みに『午』の月は陰暦五月です。
初午の日には初午いなりと言って、
「稲荷寿司」を供える風習もありますよ
その名の通り、「稲荷寿司」という名前はお稲荷様が由来となっています
元々初午の日にはお稲荷様にお供えするものとして、
その使者である『狐』の好きな「油揚げ」や、
「油揚げに酢飯(寿司)を詰め込んだもの」がお供えされていたんだそうです
この「油揚げに寿司を詰め込んだもの」が後に、
「稲荷寿司」と呼ばれるようになったのだということですよぉ
初午は、その年の“豊作祈願”が原型で、
それに“稲荷信仰”が結びついたものであるようですが、
他には・・・といいますと、“4月初めの『巳』の日の「菜の花祭り」の夜と、
初午のいずれかに雨が降らないと火に祟られる”とか、
“初午の早い年は火事が多い”とかいう俗信もあるそうで、
初午の日に、消防団員が各家庭を回って“火の用心”を呼びかけ、
“火の用心”のお札を配る習慣がある地方もあるそうです
また、富山県南砺市利賀村(旧・東礪波郡利賀村)の上村(うえむら)地区では、
子供達が藁(わら)で出来た馬(午)の頭をもって家々を回り、
家の中に上がり込み、囃し歌に合わせて舞う「利賀のはつうま」が行なわれるといいます
この各家庭からお礼にお菓子やみかん等のご祝儀をもらう行事は、
昭和57年(1982年)には「利賀のはつうま行事」として、
国の『選択無形民俗文化財』に選択され、
平成16年(2004年)には、富山県の『無形民俗文化財』に指定されているんですって
そしてまた他には・・・といいますと、
「餅まき」が行われる地域や、「旗飴(はたあめ)」という習慣もあるそうです
「旗飴」は奈良県の習慣で、初午の日に、
子供達が近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、
「旗飴」をもらうという、『ハロウィン』に似たものなんだそうです
そして栃木県ではしもつかれを食べる風習があるそうですよ
栃木県だけでなく、北関東地方の初午の日の行事食で、
鮭の頭、野菜の切りくず、酒粕を煮込んだ、郷土料理なのだそう
特別なレシピというものは無くて、家庭ごとに使われる食材も異なって、
「油揚げ」を入れたり、また調味料は一切使わない等、
その家庭ならではの味があるんだそうですよぉ
このしもつかれは、ご近所同士で交換し合って、
“沢山の家のしもつかれを食べると無病息災になる”と言われる縁起物でもあるんだそう
独特の見た目と匂いで、少しばかりクセのある料理のようですが、
何だか興味をそそられます
そしてそして初午団子というものもあるんだとか・・
「まゆ団子」とも呼ばれて、蚕を育てている人々は、
沢山の繭が取れる事を祈願して、繭に見立てた団子を奉納するんだそうです
こちらに関しては、岐阜県白川郷の「蚕飼い(こがい)祭」が有名です
初午の日に養蚕の豊作を祈って七福神が舞を踊るんだそう
雪国の白川郷の「蚕飼い祭」、こちらもいつか一見してみたいですねぇ
2月2月最初の『午』の日、初午
『初子(はつね)』、『初丑(はつうし)』、『初寅(はつとら)』、『初卯(はつう)』・・・
土用の「丑の日」は有名ですが、
他にも沢山の干支に因んだ祭事が全国各地で執り行われていますねぇ
まだまだ知らない行事もいっぱいです
京都の祭事を中心に、これからもご案内出来たらなぁ~と思っております
2月4日◎立春
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2月4日、立春(りっしゅん)
立春は、「二十四節気」の第1、正月節(旧暦12月後半から1月前半)、
2月4日頃(2015年は2月4日)です
期間としての意味もあって、この日から次の節気の『雨水』の前日まで
『大寒(2015年は1月20日でしたねぇ)』から数えて15日目頃です
立春は、冬と春の分かれる節目の日の節分の翌日で、
“寒さがあけて春に入る日”、いわば春の初日です
立春が一年の始めとされて、
決まり事や季節の節目は、この立春が起点になっています
雑節の『八十八夜』、『二百十日』、『二百二十日』も立春から数えるんですよぉ
『八十八夜』…立春から数えて88日目のこと
2015年は5月2日“夏も近づく八十八夜~”の歌は有名ですね
この日に摘んだお茶の葉は霜をかぶらないため、
高級な茶葉であると言われていますよ
『二百十日』…立春から数えて210日目のこと、2015年は9月1日です
この日は台風が襲来する可能性が高く、
農家の人々にとっては厄日だと言われています
『二百二十日』…立春から220日目のことです
『二百十日』と同じく、台風が襲来する可能性の高い日とされています
現在は『二百十日』よりも『二百二十日』に台風が来ることのほうが多いようで、
この日も厄日と考えられています
まだまだ寒いですが、暦の上では「旧冬」と「新春」の境い目にあたって、
この日から春になります
“春が立つ”と書いて立春
立春を迎えた頃から気温の底はピークを過ぎて、
徐々に春めいた気温や天気に変わっていくという事なのですよぉ
「立春なのに寒い~~」、とついつい言っちゃいがちですが、
これから本格的な春がやってくるための始まりなのですから、
寒くて当然、そろそろ梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなってきます
もう暫くの辛抱と思いましょうぅ
ここで、立春と『お正月』について・・・
古来は、自然の景色の変化から、
季節の移り変りを把握する【自然暦】を使用していました
『冬至』が年の分割の起点と考えるようになり、
立春を一年の初めとして暦が作成されるようになりました
明治時代に改暦が行われるまでは、
立春は『お正月』とほぼ同じ頃に重なっていたために、
現代でも『お正月』には「早春」や「新春」ということなのですよぉ
立春の早朝、禅寺では、
入口に立春大吉と書いた紙札を貼る習慣があります
立春大吉の文字が左右対称で縁起が良く、
一年間災難にあわないといわれています
この立春大吉にはこんな逸話があるんだそうです
“その昔、立春大吉と書かれた御札が貼ってあった家に鬼が入った事がありました
ふと鬼が振り返ると、さっき入る時に見えた立春大吉の文字が見えて、
(実際鬼は裏側から見ているのですが・・・)
「まだ入ってなかったのだ」と思って、逆戻りして出て行ってしまった”
というものです
民家などでも、一年間災難に合わない様にとのお呪いとして、
立春大吉の文字を、墨で半紙や和紙に書いて、
立春の日に家の鬼門や柱などに貼って
厄除けにされているお宅もありますねぇ
それから立春に、“これを必ず食べる”、という物はありませんが、
昔から行われている行事に、新酒まつり(朝しぼり)があるそうです
これは搾りたてのお酒を味わうお祭りで、
『立春朝搾』といって、各地で行われているようです
これは、立春の日の搾り立ての日本酒を、
その日に販売するというものなんだそう
近くに酒蔵がある場合は是非購入して、
祝い酒として一献傾けてみるのもよいのではないでしょうかぁ
その年初めて吹く南よりの強風を春一番(はるいちばん)と呼びます
例年によると、2月半ばから3月にかけて頃ということですが、
今年春一番が春を届けてくれるのはいつ頃でしょうかねぇ~
寒明(かんあけ)の雨
立春を過ぎた頃に降る雨のことをいいます
「寒明」は春の季語ですよ
日脚伸ぶ(ひあしのぶ)
お昼が長くなることをいいます
部屋深く差し込んでいた日差しも後退して、
昔は“畳の目一つずつ日が伸びる”と、近づく春を喜びました
《 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと) 》
という歌があります
“新しい年の初めに立春が重なった今日、
この降る雪の様に、益々重なれ、良いことよ・・・”といった意味になりますよ
これは「万葉集」の最後の歌でありまして、
天平宝字三年(759)の『元日』に詠んだ歌です
この日は大雪の年明けだったということで、
雪は「豊年の貢(ほうねんのみつぎ)」、「五穀の精(ごこくのせい)」、
「稲の花」といわれて、新年に雪が降るのは、豊作の瑞兆だったそうです
そのうえ、この日は19年に一度しか巡ってこない、
歳旦立春(暦日の『元日』と「二十四節気」の立春が同じ)の日でもあって、
年の初め、立春、降雪と、お目出度い事の重なった特別な『元日』だったそうなのです
“今日この降りしきる雪の様に、
更に更に沢山良い事があって欲しい”という思いのこもった歌ですねぇ
2月4日立春、一年の始まり
“これから始まる新しい一年が、皆様にとって
不幸や災いのない一年になりますように・・・”との願いを込めてぇ・・
『節分』・春・新しい年の始まり♪
本日も、ご訪問ありがとうございます
京都の四季とCobaのお花と共に暮らす日常をお便りします♪
2月3日は皆様の言わずと知れた節分(せつぶん、せちぶん)ですね
節分は【雑節】の一つで
現在は立春の前の日(2015年は2月3日)です
(【雑節】というのは、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、
特別な暦日のことです)
節分とは本来、“季節を分ける”、
つまり“季節が移り変わる節日”を指していて、立春・『立夏』・
1年に4回あったんだそうです
季節の変わり目毎にある節分ですが、
「春夏秋冬」とも書くように、1年の始まりは『春』になります
その『春』の始まりが、立春ですよね
旧暦でも、立春の頃が1年の始めとされて、最も重要視されていましたので、
次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようですよぉ
立春を1年の始まりである新年と考えれば、
節分は『大晦日』にあたりますよね
そのため、現在でも節分のことを「年越し」という地方もあるんだそうですよ
(因みに旧暦の『元日』は立春の頃で、立春の日とは限りません)
旧年の厄や災難を祓い清める追儺(ついな)の行事が行われていたといいます
それが室町時代以降には、豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展して、
それが民間にも定着していったんだそうですよ
『春』が始まる前日、新しい1年が始まる前日に、
“これから始まる新しい一年が、不幸や災いのない一年になりますように・・・”
という願いを込めて、1年に1度、節分をこの時期に行うということなのですねぇ
今でも、『大晦日』には「大掃除」をしますよね
「大掃除」も、旧年中の埃や汚れ、邪気など悪いものをなくして、
綺麗な環境や身体で、新しい年を迎えるという意味があるものでしたよね
「大掃除」とはやり方は違いますが、節分の豆まきも、
それと同じ意味なのかもしれませんねぇ
節分に行われる豆まきは、追儺(ついな)という宮中行事と、
寺社が邪気を祓うために節分に行っていた
『豆打ち』の儀式が合わさったものといわれているんですって
節分につきものの「鬼はらい(やらい)」の行事は、
中国の『大儺(たいな)』が源流で、
恐ろしい形相のお面をつけた呪師が、疫鬼を追い払う行事です
日本では706年(慶雲3年)に、沢山の人民が疫病で死んだので、
土の牛をつくって、初めての鬼払い儀式が行われたことが、
「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記されているそうです
『大晦日』の夜に行ったといいます
そして江戸時代には豆まきとして庶民に広まったんですって
今では節分といえば豆まきですが、
節分に豆で邪鬼をはらう行事が初めて行われたのは、
室町時代の京都で、「看聞(かんもん)日記」の1425年(応永32年)の記録に記されているそうです
また、定番のかけ声の“鬼は外、福は内”は、
「臥雲日件録」1447年(文安4年)に、『立春』の前夜に家ごとに豆をまき、
“鬼は外、福は内”ととなえたと記されているんだそう
やがて江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として、
諸国の神社や家庭に広まり、体を豆でなでて厄をうつしたり、
年齢の数だけ豆を食べたりするようになったといいます
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、“無病息災”を祈る意味があるといいますよね
昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、
毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、
鬼を退治できたという話も残っているんだそうですよぉ
「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて
「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということなんですねぇ
因みに豆まきの時、“鬼は外、福は内”と唱えますが、
「浅草寺」では、観音様の前に鬼はいないということから、
“千秋万歳福は内(せんしゅうばんざいふくはうち)”といいます
他にも“鬼は外”と唱えない寺・神社・地域もありますので注意が必要ですね
ここで豆についての、豆知識を1つ
豆まきの豆は“煎った大豆”でなければなりません
皆様、ご存知でしたかぁ~~
何故かというと“生の豆”は、そこから芽が出てきます
「魔」から目が出てくるということで、大変、縁起が悪いとされているんですよ
「煎る、炒る」は「射る」にも通じます
また、鬼や大豆は『陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)』の
「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を煎ることで、
鬼を封じ込めるという意味があるんだそうですよ
そして最後は、豆を人間が食べてしまうことによって、
完全に鬼を退治した、ということになるわけですねぇ
京都ではといいますと、表鬼門にあたる「吉田神社」と、
裏鬼門にあたる「壬生寺(みぶでら)」の節分祭がことに有名で、
厄除節分会の期間中は大勢の人でごったがえします
2月2日の節分祭の前夜祭として執り行われていて、
「赤」・「青」・「黄色」の三匹の鬼が三本の矢で追われていくと、
参集殿前に集まった人々の間からどよめきが上がります
また、歳の数より一つ多い煎り豆を持ち寄って、
明日からはじまる1年の息災への願いと一緒に納めます
中京区の「壬生寺」では、2日と3日にわたって節分会として、
「壬生大念仏狂言」が催されます
風俗や歌謡を豊富に取り入れた狂言はユーモラスで、
人も、鬼をも食った面白さということ
またこの両日、授与される素焼きの焙烙に名前と年齢を書いて奉納すると、
4月の壬生狂言の「焙烙わり」の舞台で割っていただけて、
その年の“厄除け招福”になるといわれていて、
例年、参道から境内まで多くの人出で賑わい立ちます
残念ながら今年は参加出来ませんでしたが・・・、
「吉田神社」と「壬生寺」の節分祭、いつか機会がありましたら、
皆様にご紹介したいなと思います
また、節分といえばの恵方巻き
節分に、その年の“恵方”を向いて太巻きを食べるという風習は、
関西から始まったものですが、今では全国的に定着しているようですねぇ
元々は、大阪の海苔問屋協同組合が、節分のイベントとして行ったのを
マスコミが取り上げたのをきっかけに広まったものだとか
その年に吉となる方角をいいますよ)
福を巻き込む→巻き寿司、福を切らない→包丁を入れない
一種の縁起かつぎではありますが、これがまた結構楽しいものですねぇ
恵方巻きの具材は何でも良いそうですが、
七福神に因んで、「かんぴょう」、「キュウリ」、「シイタケ」、
「伊達巻」、「うなぎ」、「でんぶ」、その等の七種類の具を入れるのが良いとされているんですって
節分の前日に巻き寿司の様な物を食べて出陣し、
戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているもと言われているそうですよ
目を閉じて願い事を思い浮かべながら一気に食します
2015年の“恵方”は西微南(西南西のやや西寄り)ですよぉ
“食べ終わるまで話をしていけない”のでご注意を~
節分に食するものといえば、恵方巻きと鰯
美味しく頂いた後、残った鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して、
玄関先に立てておきます
この風習はあまり御存じない方もおられるのかもしれませんね
柊の葉がとがっていることから、
“鬼の目突き”とよばれて、その先に鰯の頭をさして戸口にかかげると、
邪気の侵入を防ぐとされているんですよ
もっとも、鰯も柊も実はどちらも「冬」そのものの象徴で、
「鬼」によって象徴された疫病や災厄、
それに寒気を追い払って、少しでも早い『春』の命の再来と再生を願った、
私達祖先の生きていくための切実な祈りだったのでしょうねぇ
節分、『春』が始まる前日、新しい1年が始まる前日、
“これから始まる新しい一年が、
不幸や災いのない一年になりますように・・・”と願いを込めてぇ・・・
如月◎真朱月
本日も、ご訪問ありがとうございます
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2月、如月(きさらぎ)
日本では旧暦の2月を如月(絹更月、衣更月と綴ることも)と呼び、
現在では新暦の2月の別名としても用います
如月という名前の由来には諸説あります
・旧暦2月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
・草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
・前年の旧暦8月に雁(がん)が来て、更に燕(つばめ)が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
・陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」
旧暦2月は新暦では3月頃に当たって、梅の花が咲く時期です
このような、徐々に春めいてくることを表す言葉こではないかという説もあります
ところで、今は、「きさらぎ」は漢字で如月と書きますね
これは、紀元前2世紀頃の中国の辞書『爾雅(じが)』の中に、
「二月を如と為す」という記載がありまして、
古く中国で、2月のことを「如」と表していたことに由来しているのだそうです
「如」は本来「従う」という意味で、
“ひとつが動き出すと次々に従って動き出す。その動き出す状態”
つまり、“自然や草木、動物など、全てが春に向かって動き出す月”、
ということで「如」をあてたとされるんですって
如月以外にも旧暦2月をさす言葉があります
「仲春(ちゅうしゅん)」、「雪消月(ゆきげづき)」、
「梅見月(うめみづき)」、「初花月(はつはなづき)」など・・・
昔の人達は、冬から春に向かう様々な自然の様子で
旧暦2月を例えたのですねぇ
如月は季節としては「初春(しょしゅん)」
※『立春』から『啓蟄』の前日まで(2015年は2月4日から3月6日)ですよぉ
ここで、豆知識を・・・
2月は【グレゴリオ暦】で年の第2の月に当たり、
通常は28日、閏年では29日となりますね
他の月の日数が30または31日なのに対して、
2月だけ28日又は29日なのはといいますと、
「アウグストゥス」が紀元前8年、8月の日数を30日から31日に変更し、
そこで不足した日数を2月から差し引いた為であるといわれています
それ以前の【ローマ暦】では、年初は3月であったために、
単に年末の2月から日数を差し引いたんですって
そんな感じでいいのと、ちょっと驚きですよね
如月・・・少しずつ寒さは緩み、池の氷も雪も消えてゆく頃
雪間
雪の晴れ間、または、積もった雪が消えてきて地面が見えている所のこと
牡丹雪
霜華(しもばな)
水仙にも色々あって、早咲きものはお正月前頃には既に咲き出しています
3月中旬頃から咲き出すものは、花が一周り大きいものが多いようです
3月から4月頃に開花しますよ
地中海沿岸原産で、平安末期に中国から渡来しました
漢名は「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」
という中国の古典からきています
ギリシャ神話の美少年の名前で、
“泉に映った自分の姿に恋をして、毎日見つめ続けたら
いつのまにか1本の花になってしまった・・”といわれてます
「ナルシスト」というのは、ここからきているんだそうですよ
雪の中でも春の訪れを告げる春告花の一つです
藪椿は日本特産で、一重や八重があって、園芸品種多数、
「佗助(わびすけ)」など、いろいろな種類があります
『古事記』では、「都婆岐」、『日本書記』には「海石榴」の字で登場して、
椿の字は『万葉集』で初めて登場します
「つばき」の読み方の由来には諸説あって、
1.”光沢がある”意の古語「艶葉木(つやはき)」から
(葉は濃い緑色で光沢でピカピカです)
2.葉に厚みがある意味の「厚葉木」から
3.強い葉っぱの木の意味の「強葉木」から
4.落ちた花が、刀の鍔(つば)に似ていて、「鍔木(つばき)」の名から
5.朝鮮名の「冬柏(つくばく)」の名から
現在は椿の字で知られますが、この椿の字は
日本で作られた字(春に花咲く)ですが、
中国で椿は、栴檀(せんだん)科の高木の「ちゃんちん」という木を指して、
漢名で、日本の椿は「山茶花」と記します
(日本では「山茶花」は「さざんか」で定着していますが・・・)
葉や枝ぶりが「梅」に似ておいて、
また、実のつき方も小さな梅の実のように見えることから梅擬
鑑賞の対象は花より果実です
梅擬は晩秋から初冬にかけて赤い実をつけます
小鳥を使って種を遠くの方に運んでもらうんですねぇ
3月から4月頃、毛におおわれた花穂をつけます
他のヤナギ類よりも一足早く花を咲かせることから、
“春の訪れを告げる植物”になりますよぉ
尾状の花穂を、猫のしっぽに見立てて命名されました
絹状で銀白色の花穂が特徴的ですが、
薄ピンク色の「ピンク猫柳」という種類もあるんですって
別名を「狗尾柳(えのころやなぎ)」
そして2月、如月は真朱月(しんしゅづき)
2月如月は、すべての草木がふたたび萌いずる季節
春に向かう期待を高めるのは、『立春』という言葉
とはいえ、寒さで衣服を重ね着する日も多いことから、
「衣更着」という説もあって面白いですよねぇ~
真朱は天然鉱物の「朱砂(しゅさ)」を原料とする鮮やかな色
そして薄氷の寒さをカバーするのは、黄味を含んだ炎のような赤です
1月往(い)ぬる(行くとも)、2月逃げる、3月去るというように、
月日は駆け足で過ぎて行きます
睦み合う”として【睦月(むつき)】
“寒さが増し、衣を更に着る”という意味で「衣更着(きさらぎ)」
【弥生(やよい)】と呼ばれていますね
春の息吹を感じる頃、大きく躍動し、「静」から「動」へと移りいく時節です
駆け足で移ってゆく季節に置いて行ってしまわれない様に
一日一日懸命に充実した日を過ごしたいものですねぇ~